ホロヴィッツのこと
時は1985年、ショパンコンクールでブーニンが優勝した年で、小山実稚恵さんが4位に入賞した。私は小学生。
ショパンコンクールを取り上げたNHKの番組をVHSのビデオテープに録画して、ブーニン、ヤブウォンスキ、ラフォレや小山実稚恵さんがショパンのコンツェルトを演奏するのを、何十回と繰り返して見ていた。そのせいか、今でも、ショパンのピアノ協奏曲1番を聞くと、小学生時代の記憶がよみがえってしまう。
小学生時代、自分が通っていたピアノのレッスンは、いわゆる昭和のピアノの先生で、レッスンがあるごとに泣いて帰ってきたと思う。
タッカ、逆タッカ、スタカート。「手の中にある卵が割れないように弾きなさい。」
小学校6年生まで通い、チェルニー40番の途中、ソナチネが終わったかな、といったところで、父の転勤で引っ越しをしたのを機に、ピアノを弾かなくなってしまった。
そこで、ピアノと縁が切れていれば、その後に出会った人も違っただろうし、相当に違う人生だったのだろうなあ、と思う。
ピアノを弾かなくなって数年後、中学校2年生の時に、何気なく家にあったレコードを聴いてみようかなと思って、プレーヤーにかけてみた。父が昔買って、家に置いてあったレコードだったのだろう。
レコードのジャケットには、高齢の男性が大きな木の下でほほ笑んでいる写真。
たしか、A面はショパンのマズルカだっと思う。B面は、ショパンのエチュード、10-4、10-3、10-12・・・という順番だったように思う。
B面を聞いてみようかなと思って、レコードの針を落とした。
エチュード10-4が始まった。
「何だこれは!!?」
今まで聞いたことがあるピアノの演奏とは、全く違うものだった。
レコードのジャケットの裏面には、「ピアノ ウラディミール・ホロヴィッツ」
中学生ながらに、魂をえぐられる経験をした。
これはピアノではないと思った。
ホロヴィッツの弾くショパンのワルツ7番を聴き、自分も全音の楽譜を引っ張り出して、同じように弾いてみようと試みる。しかし、何をどうやっても同じ音は出ない。
そんなこともあって、また、ピアノのレッスンに通うことにした。
その後も、大学受験等で中断はあったけれど、趣味のピアノはなぜか続いた。ホロヴィッツは自分のすべてだった。
大学生になり、リヒテル、ギレリス、ソフロニツキー、エドウィン・フィッシャー、グールド、ブライロフスキーといったピアニストを知り、その演奏を敬愛するようになっても、常に、ホロヴィッツは、全く違う意味があった。
もしホロヴィッツの録音を聴かなければ、自分が今でもピアノのレッスンを受けているということはない。
自分の演奏は、もちろん、他人の演奏とは違う。しかし、ある意味で、あのような演奏をしたい。なんといえばいいのか、同じ種類の精神性をもった演奏がしたいと思っていて、それが我が人生の到達目標なのだ。
以前、私がホロヴィッツのCDをたくさん持っているのを見て、妻が「ホロヴィッツが好きなの?」と聞いてきたことがあった。
妻よ、ホロヴィッツは、好きだとかそういう次元のものではないのだ。「ホロヴィッツのことが好きなの?」と聞かれるのは、「あなたは自分の血のことが好きなの?」と聞かれるようなもので、何とも奇妙な質問にしか聞こえないのだ。
(妻は、結婚前にはクラシック音楽とほとんど縁がなく、バッハを聴いていると、「これショパン?」と尋ねてきたりする。音楽のことで喧嘩しなくて良い。)
さて、今のピアニストは、「現代のテクニック」で、上手い演奏ばかり。ミスがないというか。でも、何か物足りない。
ホロヴィッツのような演奏は、現在では聴けないよね、ないものは仕方ない、と20年以上思っていた。
しかし、ひょっとしたら・・・。
一人のヴァイオリニストに、祈りを捧げる。